瞑想は、心の薬です。
どのような瞑想が必要なのかは、あなたが治したいと考える心の一種の病によって異なります。
心の病とは、例えばストレスだったり、不安、執着、怒り、緊張、苛立ち、不信の念、意気消沈(憂うつ)などです。
これら以外にも、その人が体験している幸福感不足の深刻さによってはもっと挙げることができるでしょう。
一部の宗教的な伝統において、病気とは単なる人生の一部です。
仏教では、人間の誕生は、悟りを開いていない心が原因による病気の結果だとしています。
病気を持たずに生まれてくる稀な人々は、菩薩様らです。
菩薩様は、人々が悟りを開くのを手伝う為に生まれてくる悟りを開いた方々です。
「悟りを開く」とは、物体への愛着や感覚、知覚、思考、気持ち、感情からの解放です。
悟りを開いた人にもそれらの感情はありますが、それらに対する執着やそれらにしがみついたりしません。
彼らは、自身の思考や気持ち、感情、または 内外の源からの刺激によってコントロールされません。
仏教は無神論的な宗教です。
つまり、神または創造主に頼らないという意味です。
よって、仏教の瞑想はあなた自身の能力を成長させます。
有神論的な宗教は、神、創造主や源への信仰心、または神との一体化に拠ります。
多くの場合、実務的には有神論と無神論にはさほど違いがありません。
仏教僧とキリスト教司祭が出会って話をすると、お互いに似たような経験を多くしていることに気付きます。
かれらは、修道に専念していない同胞とよりも、お互いに共感することができるのです。
つまり、実務的には有神論と無神論の間にはあまり違いがないということです。
仏教もキリスト教も、意識を拡張するためには静寂が必要だと理解しています。
静寂、または沈静と精神を鎮めるのは、主に知的な刺激と騒音に集中するように教育されてきた現代人にとってはとても難しいことです。
静粛な内省と熟考せずとも、現代人であればもう少し自然で静かな場所で過ごせば良いでしょう。
(Part 2へつづく)